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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1988-04-28 第112回国会 参議院 外務委員会 第6号

我々は大衆大学でありまして、校庭が新宿の駅頭のように思って対処していかなきゃならない、こう思っていたんですが、少数を相手とした学校と違いまして、そういうところでは万一のことがいろいろ起こるんですね。  それで、だれがやったというんじゃないけれども、一千名からの団交をやりますと、押しかけるとこっちは一人ですからつぶれちゃうんですよ。例えば足が下につかないんですね。こう押しつぶされそうになるんで……

中村哲

1986-05-15 第104回国会 参議院 文教委員会 第8号

それで、人と人との触れ合いというものが教育でありまして、そういう機械化されて計量されるようなもので人の能力はわからないのでありまして、一言だけ雑談をしますならば、コンピューター大衆大学我々がおりましたような一学部に一万人から受験者があるという、それをコンピューターにかけますと、同じような点数のところが一番多くて、一番できないというのとできるという人はちょうどひし形みたいになっているんです。

中村哲

1986-02-17 第104回国会 衆議院 予算委員会 第10号

しかし、最近の情勢を見ると、研究の場というものがいわゆる大衆大学的な形からややもすると軽んぜられてきて、学問的水準というものが世界と比べて果たしてどうであろうか。割合に一部の科学技術については高い面もありますが、比較的文化科学においては非常に日本は弱い、世界的水準から見たらまだはるかに弱い、そういうふうに思いますし、科学技術の面においても、基礎科学において非常にまだ弱い面がある。

中曽根康弘

1986-02-17 第104回国会 衆議院 予算委員会 第10号

ここに大学理事長でいらっしゃるある方の小さなエッセーがあるのですけれども、「今日の大衆大学の機能は、大学院は別として、学部教育レベルでは〝教育手法の巧拙が真剣に問われるべき〟だと思うのである。学生の出席が悪いとか、授業中が騒がしいとか、学習意欲が欠けるとかの責任の半ばは教員資質に係わると極言したい。〝わかる授業展開〟大衆大学教員資質の第一に掲げられるべきである。」

池田克也

1977-04-06 第80回国会 衆議院 文教委員会入試問題に関する小委員会 第4号

その場合に、さっきお話がございましたように大学教養専門研究大衆大学的な要素から、そういうあたりを一体どのレベルくらいに、簡単に言えば難問奇問になるのではないか、いまと同じようなことになるのではないかということのその辺の基準というのでしょうか、この辺がすきっとできないかということです。

木島喜兵衞

1975-06-11 第75回国会 衆議院 文教委員会 第15号

大衆大学とそれから大学院を主とした大学と二つの大学で私は経験がございますが、なるほど東大のような博士課程までの大学院がそろっております大学学部学生にとってみますと、自分大学大学院があることは非常なメリットでございます。それからまた、自分大学院に進学しようと思えば比較的簡単に進学できる事情にもございます。  

生越忠

1973-06-20 第71回国会 衆議院 文教委員会 第23号

つまり教育条件整備ということでありまして、いろいろお話がありますように、ずっと大衆大学になってきまして、学生の数はどんどんふえてまいります。  ところが他方、大学のほうはそれに全然追いついていないというのが、まさに教育条件整備がおくれていることでありまして、たとえば教官の場合で申しますと、これだけ学生がふえてくれば、当然教員の定員もふやさなければなりません。

渡辺洋三

1969-07-14 第61回国会 衆議院 文教委員会公聴会 第1号

鈴木(一)委員 あなたのようなすぐれた学者が、つまらない一つまらないと言うと語弊がありますけれども、管理運営なんかで時間をとることなしに、鋭意そういった、いま私が御注文申し上げましたようなことで研究を進めてもらいたいと思うわけでありますが、そういうふうな観点からしますと、結局、いまの大学というものは、昔の少数エリートを養成したときの管理方式をそのまま大衆大学の中に持ち込んできている。

鈴木一

1969-07-10 第61回国会 衆議院 文教委員会 第33号

鈴木(一)委員 また私のときにお伺いしますが、もう一つお尋ねしたいことは、アメリカ教育調査団が終戦後、たしか二十四、五年ごろだと思いますが、日本に来て、これからの大学というものはやはり社会に開かれた、窓を開いた、いわば大衆大学でなければならぬというふうなことから、管理運営方式についてはアメリカ方式と申しますか、学部自治とか、いまのような日本大学じゃなくて、もっと広範な形の、たとえば卒業生とか社会

鈴木一

1969-07-10 第61回国会 衆議院 文教委員会 第33号

鈴木(一)委員 さすが文部省稗田阿礼といわれただけあって、記憶のいいことには驚いたわけですが、時間もありませんし、関連ですからこれでやめますけれども、結局、アメリカ式大衆大学に形はしながら、実際の管理運営ドイツ方式エリート大学方式であったというところに私はポイントがあると思うのです。ですから、まさにこれは文部省失敗ですよ。今日の事態を起こしたのは政治の失敗ですよ。

鈴木一

1969-03-11 第61回国会 参議院 予算委員会 第10号

将来の大学がいかにあるべきかという問題は、これは時間をかけていままでのようなエリート大学大衆大学にするとか、あるいはまた大学の今後の運営の問題、特に国立をこれをやめて、全部国立、私立、公立を一本化して、これを国庫補助でやるとかいろいろな問題があると思う。したがって、そういう問題といまの大学責任体制と一緒にがっちりやるとすればいつになるかわかりませんよ、当面する問題はどうするかということです。

向井長年

1969-02-28 第61回国会 衆議院 文教委員会 第5号

これはもう大臣なんかも、大衆大学、国民大学というようなことを言われましたし、これは各党ともにそういうことを考えていると思うのです。それからもう一面は、活字の時代から視聴覚の時代に移ってきたというようなお話もございました。テレビやラジオにおける公開講座というものについて、これは大いに推進していくべきじゃないかとわれわれは思っているのでございます。

有島重武

1968-12-19 第60回国会 衆議院 文教委員会 第2号

この研究大学と、それから専門大学、それと大衆大学という、この三つの大学のねらいはそれぞれ違っておりますけれども、その違っているはずのものが、今日同じ一つの大学という名前で一緒くたに考えられる。ある方向では自由でなければならないというようなことを言う。そうかと思うと、ある方向ではもう少し教育的でなくてはいけないと言う。ある方向では研究を重んじなければいけないと言う。

高坂正顕

1968-12-12 第60回国会 衆議院 本会議 第3号

わが党も先般、大学問題に関する中間報告を発表いたしまして、大学院大学の設置とこれに伴う学校制度改革大学自治学生の参加問題、カリキュラム等大衆大学の新形態とその新使命をうたったのであります。政府は、少なくとも大学制度大学管理運営に関する新形態具体的検討を急ぐとともに、これが実施に踏み切るべきであると思うのでございまするが、御所見を承ります。

受田新吉

1968-12-12 第60回国会 衆議院 本会議 第3号

三畳の部屋に寝起きして、高い部屋代を払い、ラーメンをすすりながらアルバイトをする味けない生活環境に置かれ、高い授業料入学金を取られながら、マスプロ講義を受け、大衆大学に変わっておりながら、エリート意識の封建的な学校運営の中で、給与の少ない教授研究に専念して、大学には教育はなくなっておる。大学自治とはいっても、教授自治でありまして、民主化を訴える学生の意見は取り上げられない。

小林信一

1968-10-04 第59回国会 衆議院 文教委員会 第5号

従来のエリートを集めて教育をした大学が御承知のように大衆大学となった。これに対してある人たちは、経済の成長が国民の財政を豊かにしたから子弟の教育が盛んとなってこうなったんだというふうな楽観論も言うておる人があります。しかし私は、敗戦の中からわれわれが立ち上がったときに、文化国家というものを目ざしていこうじゃないかということでお互いが決意をしたと思うわけです。

小林信一

1968-10-04 第59回国会 衆議院 文教委員会 第5号

今後大学の問題を検討し、何らかの改善を加えるということになりますれば、小林さんが言われる大衆大学というふうなことを念頭に置いて、これをどういうふうにやっていくかということは当然取り上げてしかるべき問題だと思います。

灘尾弘吉

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